茨城県護国神社が創建された由来や沿革をご紹介します。

当護国神社は、我が国の永遠の平和と隆昌とを願いつつ、日本民族を守るため尊い生命を国のために捧げられた人々の御霊をお慰めしようとする、全県民の深い敬愛と尊崇の念が結集して、昭和16年11月水戸桜山の現在地に創建されました。
御祭神には幕末から明治維新以来、日清・日露の戦役、大東亜戦争に至る事変戦役等において、国事にたおれ護国の礎となられた茨城県出身の63,494柱の戦役者の英霊をお祀り申し上げております。
こんにちのわが国の安泰と繁栄が、これら御祭神となられた方々の献身奉公によってもたらせられたことに思いをいたし、深くその御神徳を崇め末永くこのお社を護持していただきたいと念願するものであります。



当護国神社は徳川幕府政府体制から、近代国家体制へと大きく生まれ変わろうとする時代、幕末から明治維新にかけて国のために殉じた水戸藩関係の烈士等1千8百余柱の御霊を御祭神として、明治11年、水戸市常磐神社の境内地に、社名を「鎮霊社」として創祀された。

明治10年の西南の役、日清戦争等による茨城県出身の戦役者の合祀がおこなわれ、広く全県下の戦没英霊の御霊を奉斎する神社となる。
日露戦争、日支事変等の戦没御祭神は日を追うごとに急激に増加し、創建当時の御社殿では狭隘となっていた。
昭和14年4月、国の方針により各県下に英霊を奉斎する護国神社創建の事が決定し、これにより水戸桜山の現在地に建設が決定された。
昭和16年11月、常磐神社境内の鎮霊社から「茨城県護国神社」と改称、盛大な遷座祭を斎行した。
終戦後の昭和22年8月鎮座地の地名を「桜山神社」と改称したが、日本の独立により、昭和29年10月「茨城県護国神社」と復称、現在にいたる。
終戦直後から中絶されていた大東亜戦争戦没者の御霊の合祀を再開、現在そのほとんどの奉斎を完了、その数、実に63,494柱をかぞえる。